おもしろブログ

 このブログを読まれてご意見やご感想があれば是非ともメールをお送りください。
 反省の材料にさせていただきます。 また皆様のリクエストに応じたテーマでも関連の体験談や感想も書きたいと思いますので、 どしどしリクエストをしていただければ幸いです。


 (3)タイ式瞑想の楽しさ

 昨年末に20日間初めてタイに行きました。観光はせず4つの寺に宿泊させてもらいずっと瞑想三昧でした。ネットで予約を入れれたのはチェンマイにあるMONKCHATという国際瞑想センター(有料)で1泊2日だけでした。 もう一つの寺(有料)もチェンマイで4日宿泊しました。証明書もいただきました。後はバンコクでの寺で直接2つの寺(無料)を訪問しました。最後の4つ目の寺は予約もせず訪問し、2泊させていただきました。この寺の住職はタイ国で一番の高僧で日本語の話せるお坊さんの好意により住職に謁見させていただきました。写真も撮らせていただきました。日本の禅しか知らづこれが最高と思っていましたが、いろいろな瞑想法があり、すべてがブッダに近い方法です。とてもリラックスしてお坊さんも在家の人も瞑想しています。

 最近の瞑想に関する研究が次から次へと発表されています。
最先端ではアメリカのカーネギーメロン大学のデイビッド・クレスウエル準教授によりますと瞑想によりDIPFCといわれる遺伝子が増えるということです。
病気の中で一番多い精神に関する病(ストレスやうつ病や認知症などの)の予防に役立ちます。また人の記憶を蓄積する海馬が大きくなり、反対にストレスを感知する偏桃体が縮小することが分かりました。これからはますます”ゆる式”の誰にでもできる瞑想法が盛んになることは疑いはありません。ポイントは呼吸に集中すること。
一度お試しを!

 (2)一日12,000歩
 ごく最近まではスロー・ジョギングにハマっていた。とてもゆっくりなので散歩中のお爺さんに何度も追い抜かれる始末です。ちょっと情けないと思って少しスピードを上げてもしばらくすれば遠く離されてしまう。次に後ろから走ってきた若い女性に追い抜かれる。でもちょっと元気を出して何とかスピードを上げてせめて横を走れないかとやってみるが当然すぐにおいてきぼりにされてしまう。

往復3時間走ったことがある。一人で走ると孤独になるが、数を1000まで数えることにしている。これはトルストイの”戦争と平和”から学んだ。さすがトルストイは偉い。
ナポレオン率いるフランス兵が厳寒のロシアからフランスに飢えに苦しみ撤退する時、目標を持つために1000まで数え、また1から1000、またその繰り返しだ。
ストップして倒れたら凍死か味方の兵士に撃ち殺される。どちらにしても歩かないと死を意味する。撃ち殺されるのはある種の慈悲の安楽死です。
人間は先が見えないと不安になり発狂する人もいますが、どんなに遠くとも小さな明かり(希望)が見えれば歩けるものです。
禅寺でも座禅中に”数息観”という雑念を払う方法があります。それは数を数えることです。呼吸に合わせて1から10、1から10、と何度でも数に集中するのです。それでも雑念が入り数えるのが中断したり、気が付けば10をはるかに超えて257とか651とかまで行くことがありました。
でもまた1から10を繰り返す。

人間は普段何も考えていないようですが、一日に20万項目くらい妄想しているといわれています。目で見ても耳で聞いてもその刺激は脳に伝わらず、妄想が牛耳っています。心をカラッポにするのはむつかしいのです。
現代では、脳波の研究が進み高僧の脳を観れば判断がつきます。

散歩による足裏の刺激はとても良いのです。足の裏は(1)脳についで第二の脳といわれています。その次が(3)大腸(4)皮膚です。

なんでも自分流にでも好きな目標をたてることは重要です。
しかもすぐに習慣づけれれば最高です。やったりやめたりでも大丈夫。何もやらないよりは1ミリでも前進です。


(1)学問の心得  "寝ても考える?"

 日本で最も独特な数学者は佐藤幹夫さん? そんな人知らん?

 数学界の大樹で数学のノーベル賞に値するウルフ賞を受賞した。ほとんど論文を書かなくて、京大を定年でやめてからの消息は一部の者しか分からない。
 彼の弟子たちには「佐藤スクール」といわれる超一流の教授がいっぱいいる。
 ある時、彼が弟子たちに言った。

 「今日も1日頑張るぞ!と言っているようではとてもものにならない。夜、数学を考えながら寝て、朝起きた時には数学の世界に入っていなければならない。
 自分の命を削って数学をやるくらいでなければとてもできない」と。

 われわれは命を削って仕事や勉強をしているかな? 過労死しているお気の毒な人もいる。
 以前にもよく似た言葉を耳にしたことがある。

 建築家安藤忠雄さんが語っていた内容である。

 「私は、昼も夜も考え、夜寝ていても考えるのである。」
 では一体いつ寝るのであろうか? 彼の寝方はわれわれとは違うのだろうか?
 彼が夢を見るかどうかは知らない(恐らくそんな無駄なことはしないだろう?)が、夢の中でも建築を考えているのだと思う。ものごとに徹するとは,こうゆうことをいう  のであろう。

 人は寝てても息を止めずに呼吸しているように、彼らの思考や思索は止まらないのである。ちなみに私も彼らとレベルは雲泥に差があるが、夢の中で数十年来の  2つの疑問の解答が与えられた経験がある。思わずメモをとった。そのことは別の機会に面白いので書きたいと思います。

 語学でも何でもそうだが、これほど強い念があれば「岩をも通す」こと間違いない。
 「念ずれば花開く」と誰かが言った。この話を聞かれてどのように思われますか?


 私は、すぐに思いついたのが、禅の公案(こうあん)のことである。

 禅では老師と呼ばれるお師匠さまから「公案」という伝統的な質問が与えられ、老師の部屋で一対一で、自分の見解(心境)を述べるのである。
 しかし すぐに老師に見破られ、すぐにえせ見解を奪い取られしまう。老師の振る鈴で雲水(修行僧)も居士(在家の修行者)も尻尾をまいて部屋から退散するので  ある。それが何度も何年も続く。
 人によっては一生かかっても公案の許可をいただけないこともあります。参禅によって悟りが開かれた者には最高の喜びを感じられると言われています。

 数学の佐藤幹夫教授より前に京大に片岡仁志教授がおられました。

 片岡先生は論文を書かずに博士号をさずけられた稀な学者でした。今日ではありえませんね。

 私の老師が心から尊敬されている人物のお一人です。その先生の息子さんにお会いしたことがあります。島根県の江の川高校の理事をされておられご一緒に甲子 園に高校野球の応援に行ったことがあります。
 片岡仁志先生の著書「無に生きる」の一読をお勧めいたします。