幸福亭ニーナのおもしろブログ

 このブログを読まれてご意見やご感想があれば是非ともメールをお送りください。
 反省の材料にさせていただきます。 また皆様のリクエストに応じたテーマでも関連の体験談や感想
 も書きたいと思いますので、どしどしリクエストをしていただければ幸いです。


(2)学問の心得  "寝ても考える?"

日本で最も独特な数学者は佐藤幹夫さん? そんな人知らん?
数学界の大樹で数学のノーベル賞に値するウルフ賞を受賞した。ほとんど論文を書かなくて、京大を定年でやめてからの消息は一部の者しか分からない。彼の弟子たちには「佐藤スクール」といわれる超一流の教授がいっぱいいる。
ある時、彼が弟子たちに言った。

「今日も1日頑張るぞ!と言っているようではとてもものにならない。夜、数学を考えながら寝て、朝起きた時には数学の世界に入っていなければならない。自分の命を削って数学をやるくらいでなければとてもできない」と。

われわれは命を削って仕事や勉強をしているかな? 過労死しているお気の毒な人もいる。
以前にもよく似た言葉を耳にしたことがある。
建築家安藤忠雄さんが語っていた内容である。「私は、昼も夜も考え、夜寝ていても考えるのである。」
では一体いつ寝るのであろうか? 彼の寝方はわれわれとは違うのだろうか?
彼が夢を見るかどうかは知らない(恐らくそんな無駄なことはしないだろう?)が、夢の中でも建築を考えているのだと思う。ものごとに徹するとは,こうゆうことをいうのであろう。

人は寝てても息を止めずに呼吸しているように、彼らの思考や思索は止まらないのである。
語学でも何でもそうだが、これほど強い念があれば「岩をも通す」こと間違いない。
「念ずれば花開く」と誰かが言った。この話を聞かれてどのように思われますか?

私は、すぐに思いついたのが、禅の公案(こうあん)のことである。
禅では老師と呼ばれるお師匠さまから「公案」という伝統的な質問が与えられ、老師の部屋で一対一で、自分の見解(心境)を述べるのである。しかしすぐに老師に見破られ、すぐにえせ見解を奪い取られしまう。老師の振る鈴で雲水(修行僧)も居士(在家の修行者)も尻尾をまいて部屋から退散するのである。それが何度も何年も続く。
人によっては一生かかっても公案の許可をいただけないこともあります。参禅によって悟りが開かれた者には最高の喜びを感じられると言われています。

数学の佐藤幹夫教授より前に京大に片岡仁志教授がおられました。片岡先生は論文を書かずに博士号をさずけられた稀な学者でした。今日ではありえませんね。
私の老師が心から尊敬されている人物のお一人です。その先生の息子さんにお会いしたことがあります。島根県の江の川高校の理事をされておられ、ご一緒に甲子園に高校野球の応援に行ったことがあります。
片岡仁志先生の著書「無に生きる」の一読をお勧めいたします。



(1)長生きがしたい?  は〜い! でも何のために?

 健康で長生きがしたいと思うのは人の常ですが、では何歳まで生きたいですか?と生徒さんに尋ねると大体は80〜90歳までが多いようです。では、私はどうかと聞かれたら、以前は「120歳」と答えていました。
この120歳には医学的にも根拠があり、「過度の欲をかかず、大病や離婚や事故などがなく、健康に配慮すれば」可能ということです。ずっとそう思いつづけて健康に注意してきました。
ところが2年ほど前からこの考えをあるきっかけで変えました。
「120歳から150歳」に変更しました。な〜んて欲どしいんでしょうか? 
でも、これはそれなりの理屈があるのです。

 もし人生が80歳(平均)で終るなら、50〜60〜70歳になれば、これから新しい仕事を始めたり、これから何かをゼロから始めようという気になれるでしょうか? もちろん70歳や80歳からピアノや卓球を、また事業(ケンタッキー・フライド・チキンの創始者ハーランド・サンダース氏は66歳から)を始める方もたまにおられますが、それは例外的ですね。たいていの方は、余生の守りに入っていたり、事業を始めるような元気や気力をなくされているのが実情です。

 120歳から150歳という目標が大きいと、今どのような生き方をしなかったなら、大目標に到達できないかということを逆算し、今後の生き方が少し見えてきます。

 ここが重要なところです。食事も睡眠も人間関係も仕事も無茶をしなくなり、中道を取るようになります。さらには、生きる真の目標が変わります。ただ病んで生き長らえるだけでは意味がありませんし、誰もそのようには望まないでしょう。

ここで人生の価値観が大きく転換する時です。すなわち、「人のため生きる」「自己のために生きる」ということがひとつになり、希望が生まれます。この希望が大切です。
人は誰れでも夢や希望がなければ頑張れません。

希望があれば、人はプラス発想ができます。やがてプラスのエネルギーが地球を包みます。
始めはあなた一人でも、私一人でも希望を持って生きれば、小さな小さな渦はやがて大きな渦になり、やさしい平和な波動がみなぎり誰もが生きる喜びを実感できるのではないでしょうか。(ちなみに合気道の技はスパイラルです。)

小さな池に投げた小石でも波紋を起こします。ましてやこの地球に住む60億人が波紋を起こせば、津波どころ騒ぎではありません。宇宙の浄化につながります。

皆さん、いかがでしょうか! 150歳を目標しませんか? 薬づけの150歳ではなくて、楽しい健康体での150歳です。そうは言っても無常はいつあなたを襲うかもしれません。
今日か明日か、3年後か、誰も分かりません。

ですから油断せずに、今の今を真剣に生ききることですね。「無用の用」という言葉もありますが、本当は無駄な時間は1秒たりともありません。

一見、毎日同じ行為の繰り返しと思われる中に「悟り」は潜んでいます。ただ気付かないだけです。
「悟り」を追い求めるのではなくて「悟り自ら」が「この人なら是非とも」とすり寄って来てくれるようになりたいものです。
「そんな風に考えたらしんどい?」と思われるかもしれませんが、これが真の快楽ですよ。

何か別の快楽を求めておられませんか? でもそれも良いかもしれません。
われわれはしょせん凡夫ですもの。そうするとすべて良し? これもまたポジティブな考えですね。

「悟り自から」が自然とやって来る見性体験がしたいものです。でも、その体験を第三者として認可していただけるご老師(禅の高僧)の存在は不可欠ですね。